もしドラの作者は思い込みが激しすぎるのではないか - やねうらお-よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る
まあ、それはそれとして、もしドラの作者がコミック版に書いていた言葉が私は妙に気になったので長文ではあるが以下にそのまま引用する。
例えば、主人公の川島みなみがドラッカーの『マネジメント』と出会う、この作品においては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、そこで両者の出会いのきっかけを作る(みなみに『マネジメント』を勧める)書店員について、ぼくはその人物設定から背景、勧める理由までこと細かに考えていたにもかかわらず、小説の中では一切描かず、単にその事実のみを記すにとどめた。それは、もちろん紙幅の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方が小説として面白くなるということが分かっていたからなのである。
その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、『もしドラ』を象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、ところが小説の発表後、そこで予想外のことが起こった。なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解できない人が、少数ではあるが現れたのである。そのシーンを、何度読んでも「書店員がなぜその本を勧めたのか」を想像できない人が、少なくはあるが一定数いるという事実が、読者からの反響を得る中で判明したのだ。
これに、ぼくは驚かされた。彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らの本の読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、僕は初めて知ったのである。
そうしてぼくは、これを由々しき問題であると受け取った。本を読むのが下手というのは、何よりその人たちにとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かすコツを覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに、それができないというのは、端的にいって可哀想である。
このやりとりは「ここってバグじゃね?」「いえ、行間を読んでくださいよ。これはバグではなく仕様です」ってやりとりに見えた。しかも、作者の読書術というものは「他のバグも行間を読んで仕様にしてしまおうぜ!」という作り手側の傲慢な態度に見える。
いや、作品にバグがあること自体は否定しない。一人のユーザとしてはバグも含めて好きな作品は沢山ある。チャーミングなバグとか。ただ、作り手側に「お前が行間を正しく読まないのが悪いんだ」という風に指摘されてしまうと、うーん、ちょっとな。
作者は「あえて省略した」的なことを書いているので、たぶん物語を省略することで生まれる「マジック」のような効果を期待したのだろう(これがマジックとして成立しているかは疑問だが)。なのに作者は「なんでマジックの種をわかってくれないの?」って読者に言ってるみたいで。やっぱ、その考えは私には理解しづらいかな。